コロナの検査

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、県の事業として感染を不安に思う方への抗原定性検査ならびPCR検査が無料で実施される運びとなった。

 

もう1月中旬からやっている。検査数は増える一方だが、多くの人の支援でもう3ヶ月以上続けられている。最初の頃は検査した人が陽性だった瞬間に自分も感染しているかもとナーバスに自身の検査もしていたが、最早そんな恐怖心はなくなった。手袋もフェイスシールドもアクリル板もない状態でも(いちいち感染対策備品を都度リフレッシュしなければならない作業ができないほど検査数が増えている)それぐらいの接触では感染しないことが分かったというのも大きかった。

 

コロナ検査が怖くなくなった昨今、検査に関して頂ける報酬は非常にありがたいし店の名を売る絶好のチャンスであるが、問い合わせの電話や検査の結果報告などと付随業務の負担が大きい。休みの日は減ったし、なけなしの自由な時間で何をしようと言う気も起きない。酒の量も増えている気がする。ウイルス感染なんかよりもっと怖い病気が自分の体を蝕んでいるに違いなく、その事が何より悍ましい。

駄弁

しばらくは日記を書いてみたのだがストンと書く気が失せてしまった。感情を吐き出すことで楽になったこともあるけど、文章を捻り出す気力が日々の疲れに負けてしまった。

 

最近はウルグアイの音楽を聴いたりインディーゲームをやったりしている。

 

何かにのめり込める人が羨ましい。ウルグアイに限らずのワールドの音楽を聴いてる人もインディーズゲームを掘ってる人もブログやツイッターを見ててよくも飽きないなと思う。気分によれば沖縄の音楽を聴いたりマリオのドメジャーなゲームをやってみたりしたくないのか。ワインだってナチュールだけ飲む人もいるし、日本酒の熱燗だの冷酒だの、どちらかを飲むだけの人にはなれない。

 

世の中色々あるんだから色々に私は好きなんだが、何かに一直線な人が愛を持ってて、それが即ち説得力みたいなのを持っているのがまあ事実みたいなこととされているので私はありがたくその上澄みを頂くとさせていただきます。

 

ボーイズ

順風満帆な国などないように思う。アメリカもイギリスも韓国もブラジルもどの国も。人の事、よその国の事を心配している場合ではないと思うが各国情勢のニュースを見てはそのそれぞれにため息が出るようだ。

 

先日アマゾンプライムで視聴できるThe BOYSを見終わった。アメコミヒーローの素性が実はクソカスで、そんなヒーローに因縁を持つ一般人たちがリベンジしていくのが主なストーリーだ。セクハラ、差別、グロなどコンプラに中指立てるような表現が盛り沢山で精神状態によっては見ちゃいられないこともある。しかしそのアメリカだけではない社会問題の掬い方が絶妙で(もちろんアメリカの様々なことのメタファーがたくさんあるが)ただの過激な映像作品に終始しないところに唸らされる。

 

この作品ではスーパーヒーローだけがフィクションで、いろんな嫌なことがマジにこの世界では起きている。The BOYSの世界では、それらの問題ごとは解決できずに話がドライブしていく。

 

スーパーヒーローがいたとしてもと思うとフィクションであれなんともつらいが、私たちが生きている世界はそうなんだろう。とてつもない有能な人間が何人かいたとしても、ほとんどこの世は何も変わらない。自分と対峙できないオレがそんな世界に対峙しなければならないのだ、などと思春期に聞いたような歌詞を思ってひとりごちていた。

ボンゴ

パーカッションが曲にあるだけで好きになってしまうかもしれない。あるミャージャンがファンクバンドのじゃがたらを評して、じゃがたらのあの女性のコーラスがあるだけで曲にグルーブが生まれるとかそんな事を言っていた。似た話でもないが、私にとってパーカッションはあるだけで曲にストーリー性が生まれる気がするので好きだ。体も自然に動いてくる。

 

だいぶ前に、好きが高じてボンゴを買った。手で叩くニコイチの小太鼓である。さながら1人カラオケのように、リズム感はさておいて、曲に合わせて二つの太鼓を叩き分け、ミュートをいれて叩いているとすごく気持ちがいい。日によって皮を強く張ってみたりもした。すごく楽しかったのだが叩きすぎてある日アパートの管理会社から苦情が来てしまい、その日以来叩いていない。mpcかなんか現代の機材でやれないこともないのだろうが、もうなんというかだるいので、憧れだけを持ち続けている。

自炊

週に1回は外で腕利き料理人の料理を食べてしまうので、家での食事はストレスフルになりがちだ。基本まずいから。

 

仕事が遅くなったりするともう短時間でなるだけ上手くできる料理としたい。そうなるとあえ物とか炒めものとか鍋とかになってしまいレパートリーが狭くなる。それすら面倒な場合レンチンのものやコンビニの惣菜にしてしまうのだがもう飽きるし自分で作るより全然美味しくないし超苦痛だ。いい酒にも合わん。せめてゆったり料理する時間があれば。

 

1年ほど前、知り合いのシェフにそそのかされてワインセラーを買ってしまった。いい酒はセラーにためてあるのにご飯がいけなくて片手落ちだ。文化的な最低限度の生活を享受するためにも、労働環境の改善をもう少し求めてもいいのかもしれない。

及ばず

もう自分で自分が嫌になる瞬間の一つに私があまりに楽観的だというのがある。楽観的な立場から言うと私は楽観的と言えるが、また違う目線で楽観的な客観視をするとストレートに言って何も考えていない。気を使ってるつもりなのにどこかで相手の立場を考えられていない。

 

そのせいで考えが至らなかったことで起きたミスが多い。こちらの楽観的な考えで、向こうはそうなんだろうという甘い見込みを持ちボケっとしてたら不具合が生まれる。

 

もういい年だし、考え及ばずは医学辞書に記されずの難病かもしれないが、お互い機嫌良く生きたいのでなんとか考えを至らせたい。メンツモ即リーイッパツの勝ちで全知となるわけないから、ここは経験が大事だと自分を納得させ、ある意味マジに楽観的にいこうと思っている。ウラを期待しないことこそ大事じゃないか。

島根半島

山陰地方に住んでいなければ島根半島の絶景を見ることはほとんどないと思う。島根半島は西に、出雲の日御碕、東に松江市美保関へわたる東西に伸びた半島だ。その東西に漁村が点在し、小さめな海水浴場は県民のレジャースポットにもなっている。海難を鎮めるために建てられたという由緒ある神社がいくつもあり、人間の数代に渡る営みを感じられる。

 

島根半島は標高こそそこまで高くないが南北には短く、その分急峻に感じられる。車道は細くてほとんど車2台はすれ違えないので、離合できそうなポイントを頭に入れながらドライブする必要がある。緊張感のある道を進みながら不意に木々が途絶えた空間が現れて、その高みから見下ろせる日本海はとても綺麗だ。

 

この風景は住んでいるものの特権だと思うが是非皆さんに紹介したいという思いでこの日記を書いている。いいカメラをお持ちのインフルエンサーの方、美味しい寿司屋と蕎麦屋なら紹介できます。出雲蕎麦、寿司、島根半島の風景を肴に地酒でもいかがでしょうか。